Birdwellの
ビーチトランクスの話
自分で始めたビジネスを子供たちが受け継いでくれるなら、親としてそんなに嬉しいことはありません。1961年に創業した<バードウェル>がまさにそんなケースでした。縫製職人のキャリー・バードウェル・マン(1901-2000)さんがサーフトランクス屋を始めた頃は既に60歳。ビジネスのスタートに年齢は関係ありませんが、しかし最初は相当なエネルギーが必要なのでやはり若い時に始めた方が楽です。
幸い、キャリーには優しい長男のボブと賢い娘のヴィビアンがいました。<バードウェル>の創立当初は「家族全員で助け合いながら、なんでもやった」典型的なファミリービジネスで、結束力こそが資本力のない<バードウェル>の唯一の強みだったのです。1989年に発行された同社のカタログを見ると、家族写真付きでユーモアをこめて「我らはバードウェル・ギャング!」と表現。キャリーが始めたサーフトランクス・ビジネスはまさにそんな感じの、どことなく温かみのある南カリフォルニアのサーフトランクス屋だったのです。
1965年に娘のヴィヴィアン・リチャードソン(1920-2014)が2代目社長となりました。実際には長男のボブとヴィヴィアンの共同経営者が続き、この兄妹によって<バードウェル>は世界的に知られるサーフトランクス・ブランドへと成長していきます。しかも二人が経営に携わった期間は2008年まで長く続き、<バードウェル>とはまさにヴィヴィアンとボブが時間をかけて大きく育てたブランドだったことになります。
1965年に2代目社長になった頃のヴィヴィアンは45歳で、それまでの仕事は地元の<グレンの電気屋>で秘書を務めていました。しかし母のキャリーと同様に、ヴィヴィアンもミシンは得意だったようで、最初の頃は生産の仕事をもやっていたようです。一方、ビーチバムの兄のボブは営業担当。幸い、<バードウェル>のファミリービジネスは年々業績が伸び、ついに「自宅兼縫製工場」から抜け出し、工場を借りることになります。それが1970年頃の出来事でした。
(次号に続く)